過去の自分への共感羞恥ばかりある日々
台風が来たりしましたね
私の地元は逸れたのですが、それとは関係なく道端にわかめ(昆布?)が落ちていました。
誤って踏んでしまったが最後、めちゃくちゃすっ転ぶと思うのですが、バナナで転ぶよりも定番で面白味も無く地味だし、あとなんかぬるぬるしててキモい。
最悪だなと思って足で隅に寄せました。
それはさておき、皆さんは今「好きなもの」ありすますか。
私は幼少期から好きなったモノに熱中することが多かったり、そればっかりをやってたりしてました。だからかわかりませんが、いわゆる「ヲタク気質」というやつで今でも好きな物に対しての執着みたいな熱意みたいなものがある。
例えばそれに対しての考察、裏話、フィギュアや写真とか、理解を深めたり収集したり飾ったりして自分の傍に置いておきたくなります。きっとよくあることだとは思うのですが。
ただ、好きの対象が移り変わるたびに、収集など思い出が増えていくたびに、その頃の自分の環境や気持ちを思い出すことがよくあります。
そうすると「うわーーっ」となり突然、その物達を全て捨てて真っ白で何も無い部屋にしてしまいたくなることが多くあります。 服なども然り。
これって、「共感羞恥」に似てる感情だなと今日思いました。
「こういう痛い頃あったな」とか思う暗黒時代みたいなものとか、「ここで恥ずかしかったんだよな」と思った失敗談とか、そんなのと似たような場面に出くわすと、気まずいような叫び出したいような…今すぐどうにかしてくれ!という気持ちになる。
私はその共感羞恥をほぼ毎日、己(おのれ)に対して感じてるんじゃないかな、と思いました。
不憫すぎないか?
それを特に多く感じるのが、片思いだとか…そういう「人に対しての好意」です。
それは実ろうが実らなかろうが様々な思い出がありますが、全て恥ずかしい。もう苛立たしいくらい発狂したくなる。
その時の自分の必死だった姿、おそらく(多分)透けていた下心、一日中そのことで頭がいっぱいになったり、挙動不審になったり、自意識過剰になったり、理想と現実の差に一喜一憂したりと……。
人によっては微笑ましく甘い思い出かもしれません。
私にはその「必死だった自分」が愚かで仕方ないんです。過去の自分、ごめん。
過去のことを思い出す というのは、今よく浮上している「hsp」気質が強いのだろうなと強く思いますが。あとは自己肯定感の低さとか、プライドが高いんじゃないかとか……。
問題なのは、最近はそれが重なったせいで物事に本気になったり熱を上げたりすることがもう恥ずかしい。消えてしまいたい。愚かしい……。なんでこうなったんだ。
未来の自分への議題です。
【はじめに】思考、日記、通院時の一コマ、母とのことなど
どうもこんにちは。
今、何か考えていましたか?なんにも考えてなかった?
2020年9/24、21時15分現在の私は、とくに何も考えていません。
「ぐーぴたっ」という栄養調整食品って、全く「ぐーぴた」されなくないですか?むしろ食欲が増す気がする。
この記事は、未来の自分へ、今現在この記事を読んでくださっている貴方へ、自分の思考やら何やらを見てほしくてはじめました。
健全な露出狂、つまり人によっては不快かもしれません。もしくは笑えるんじゃないかと思っています。
思考の種や暇つぶしにでもになれば幸いです。
pcを持ったことが学生の授業でしか無いので、ipad、iPhoneからノロノロせかせかと更新します。
絵を描くことが好きなのでエッセイ漫画やイラストも挿みもうと思っています。
例の如くブログなんかも初めてなので、画像の記載方法すらわかりませんが、露出狂ってそういうの考えず衝動でやってると思うので習うより慣れようと思います。
さて、この導入の時点で尊い閲覧者が何人ブラウザバックしただろう…と考えるとネガティヴが止まらなくなるので無視して、簡単な自己紹介をします。
歳はアラサー、現在無職一年目。
精神科と整体を通院してます。あと歯医者。
幼稚園のころからほぼ不登校を続け、高校は夜間をしっかり通い無事に卒業し、なんやかんや現在にいたります。
明らかな方向で狂った母と生活してましたが、高校の時に借金を背負ったパチスロ大好き陽キャの父と完全に二人暮らしとなり、突然バイト勉強家事を全て一人で4年間やることにより完全にパンクし、ボケッとしたまま卒業したものの就職もせず、とりあえず始めたバイト先で「社交性不安障害」を発症し、もともとの鬱と相まって毎日Twitterで「死にたい…」とつぶやいてました。
そこからなんやかんやで「人生、半分諦めてるくらいがいいのかも…」と迷走してる中に主治医から「突発的な記憶力が無いし、貴方はadd(adhd)です。」と言われたのが今月の話です
主にこのなんやかんやの部分なんかも、これから記事に残していけたらなと思います。